中国ドラマ

呂不韋とは何者?始皇帝の“父”説の真相

はじめに|“始皇帝の父は誰?”という素朴な疑問から

中国ドラマ『始皇帝』や『キングダム』を観ていて、ふと気になったことがありました。

「始皇帝の父親って、本当に子楚なの?」

物語の中ではあまり触れられませんが、実は始皇帝の誕生には“黒い噂”があるようなのです。

気になって調べてみると、そこには 呂不韋(りょふい) という名前が何度も登場しました。
彼は商人から丞相にまで上りつめた人物で、太后や宦官とも深く関わっていたそうです。

この記事では、「始皇帝の父は誰?」という素朴な疑問をきっかけに、
私が調べて分かったことを、なるべくわかりやすくまとめてみました。

歴史に詳しくない方にも、ドラマをもっと楽しむ視点として参考になれば嬉しいです。

寄り添う古代中国風の男女。男性は黒い衣と高い冠をかぶり、女性は深紅の装束に金の簪を挿してうつむいている。情緒ある静かな雰囲気の中、控えめな手のふれあいが印象的。

宦官制度とリンクした「偽装宦官」スキャンダル

宦官だけが許された後宮への出入り

中国の後宮は、皇帝以外の男性は立ち入ることが許されない神聖な場。
唯一出入りを許されるのが、男性機能を持たない 宦官(かんがん) でした。

呂不韋の禁断の策「偽装宦官」

この仕組みを逆手に取って、呂不韋はある策略を企てます。

――それが、「偽装宦官」の投入。

呂不韋は、太后(当時の皇太子妃)との男女関係を復活させるため、まだ男であることを隠した人物を“宦官”として後宮に送り込むという禁じ手を使ったのです。

この男の名は――嫪毐(ろうあい)。


呂不韋ってどんな人?|商人から大政治家へ

「奇貨居くべし」で始まった野心

呂不韋は、もともと趙(ちょう)の国で財を成した大商人。
「奇貨居くべし(価値あるものは手に入れるべし)」という有名な言葉を実践した男です。

子楚との出会いと太后との関係

彼は、当時人質として趙に滞在していた秦の王族・子楚(しそ)に目をつけます。
将来の出世を見越して資金援助を行い、さらに自分の愛人だった女性(後の太后)を子楚に嫁がせ、息子(政=後の始皇帝)を誕生させます。

丞相へと上りつめる呂不韋

その後、子楚が秦王として即位すると、呂不韋は丞相に任命され、一躍政界の中心人物に――。
出自こそ商人ですが、知略と野心で王政の頂点にのぼり詰めた「成り上がりの天才」だったのです。


太后と嫪毐(ろうあい)|禁断の関係の真相

寂しさを埋める密通劇

子楚が亡くなり、まだ幼かった政(後の始皇帝)が即位すると、太后は再び寂しさを抱えるようになります。
そこへ呂不韋が仕組んだ男――嫪毐が、宦官として後宮に入り、太后と密通するようになります。

表と裏の顔を持つ関係

2人は表向き“宦官と主君”の関係でありながら、裏では完全な愛人関係に。
やがて、太后は嫪毐の子を2人も出産するという、あってはならない事態に発展してしまいます。

これは、国家的なスキャンダルでした。


始皇帝の出生の“黒い噂”|父は子楚ではない?

出生に関する3つの不審点

この一連の事件から、「始皇帝・政は本当に子楚の子なのか?」という疑念が浮上します。

始皇帝の出生には、以下のような“不審な点”があるとされています。

  • 太后が呂不韋の愛人だった時期と、政の誕生時期が重なる
  • 嫪毐との密通が国家を揺るがす事態となった
  • 嫪毐の子どもが後に反乱を起こし、「政と兄弟かもしれない」と噂された

「呂不韋が父」「嫪毐が父」両説の真偽

こうした背景から、一部の記録では「実の父は呂不韋」という説まで存在します。

もちろん真実は歴史の闇の中にありますが、“始皇帝の父親は子楚ではない”という説は、現代でも根強く語られています。


呂不韋の政治戦略と最期|“策士の限界”

後見人としての権力掌握

呂不韋は始皇帝の即位後、実質的な後見人として政権を掌握していました。
その後も影響力を保ち続けますが、ある日事件が起こります。

嫪毐の反乱と呂不韋の失脚

それが――嫪毐の反乱。

嫪毐が太后との関係を利用し、密かに兵を集めて反乱を企てたのです。
この事件に呂不韋が関与していたかどうかは定かではありませんが、政(始皇帝)は彼を疑い、ついに追放。

呂不韋の自害

権力の座から引きずり降ろされた呂不韋は、最終的に毒を仰いで自ら命を絶ちました。

その死は、策士としての頂点と限界を象徴するかのようでした。


ドラマで描かれる呂不韋像の魅力

作品ごとのキャラクター描写

呂不韋は、ドラマや漫画でも魅力的に描かれることの多い人物です。

たとえば――

  • 『始皇帝 天下統一の男』では、野心家でありながら人間味ある老獪な政治家
  • 『キングダム』では、冷酷で権謀術数に長けた巨悪のイメージ

魅力の源は「人間ドラマ」

その描かれ方は作品によって異なりますが、共通しているのは「人を動かす才覚と、失墜の悲劇」が内包されていること。

まさに、野心と忠誠、愛と政治のはざまで揺れた、稀代の策士です。


まとめ|始皇帝の出生に見る“歴史の裏側”

始皇帝の出生にまつわる噂は、決して確かな記録があるわけではなく、
あくまで「そういう説もある」という程度のものです。

けれど調べていくうちにわかってきたのは、
この噂の裏にいた呂不韋という人物の、あまりにもドラマチックな人生でした。

商人から王を支え、太后との関係を経て、時代の頂点に立ち、そして転落していく――。
その生き様には、歴史書だけでなく多くのドラマや漫画が惹かれる理由があると感じました。

たとえ真相は闇の中でも、「なぜそんな噂が生まれたのか?」に目を向けると、歴史はぐっと身近になりますね。

歴史に詳しくない私にとっても、調べていくうちに始皇帝の姿が少しずつ立体的に見えてきました。

史実と伝説のあいだにある“人間の物語”に触れることで、ドラマの楽しみ方も変わってきた気がします。


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