中国文化・歴史

紫禁城とは?中国ドラマがもっと面白くなる歴史・建築・後宮をわかりやすく解説

中国時代劇を見ていると、赤い壁と黄色い屋根に囲まれた壮大な宮殿が登場します。

皇帝が大臣たちと向き合う大殿。
皇后や妃嬪が暮らす後宮。
いくつもの門と、長く続く廊下。

中国ドラマではおなじみの風景です。

けれど、建物の名前や位置関係までは、なかなか分かりません。

「紫禁城と故宮は同じ場所?」
「皇帝や妃嬪はどこで暮らしていたの?」
「ドラマは本物の紫禁城で撮影されているの?」

そんな疑問を持つ人も多いと思います。

紫禁城は、明と清の皇帝が暮らし、中国を治めた宮殿です。

敷地の中には、政治を行う大殿、皇帝一家が暮らす宮殿、妃嬪の住まい、庭園などが配置されていました。

現在は、北京の故宮博物院として一般公開されています。

この記事では、紫禁城の歴史や見取り図、後宮の仕組み、建築に込められた意味を初心者向けに紹介します。

宮殿の役割が分かると、中国ドラマの登場人物がどのような世界で暮らしていたのかも見えてきます。

紫禁城の宮殿を正面から撮影した写真。青空の下、黄色い屋根と白い石段が広がり、手前のに広場がある。

Contents
  1. 紫禁城とは?まず知っておきたい基本情報
  2. なぜ「紫禁城」という名前なの?
  3. 紫禁城は誰が、いつ建てた?
  4. 紫禁城の広さと見取り図
  5. 皇帝が儀式を行った「外朝」
  6. 皇帝・皇后・妃嬪が暮らした「内廷」
  7. 中国ドラマでよく見る東六宮・西六宮とは?
  8. 紫禁城ではどのように暮らしていた?
  9. 紫禁城の美しさに込められた意味
  10. 中国ドラマの紫禁城は本物?
  11. 現在の紫禁城を見学するには
  12. まとめ|紫禁城を知ると中国ドラマがもっと面白くなる

紫禁城とは?まず知っておきたい基本情報

紫禁城は、中国・北京市の中心部にある皇帝の宮殿です。

明代に建設され、明と清の二つの王朝で使われました。

現在は「故宮博物院」として公開されています。

中国の歴史や宮廷文化、建築を知るうえで欠かせない場所です。

明・清王朝の皇帝が使った宮殿

紫禁城では、明の皇帝14人と清の皇帝10人が即位しました。

合わせて24人の皇帝が、この宮殿を政治と生活の中心として使いました。

建設が始まったのは1406年です。

1420年に完成し、その後約500年にわたって王朝の中心となりました。

国家の儀式や大臣との会議も、紫禁城の中で行われました。

皇帝の住まいであり、国の政治を動かす場所でもありました。

紫禁城は北京のどこにある?

紫禁城は、北京の街を南北に貫く中軸線の中心にあります。

南側には天安門広場があります。
北側には景山があります。

紫禁城の主要な建物も、この南北の中軸線に沿って並んでいます。

中心には皇帝が使う重要な宮殿を置き、その左右に建物や庭園を配置しました。

皇帝を中心に置く考え方が、建築全体に表れています。

紫禁城と故宮は何が違う?

「紫禁城」と「故宮」は、基本的に同じ場所を指します。

紫禁城は、皇帝が暮らしていた時代の呼び名です。

故宮は「昔の宮殿」という意味です。

清王朝が終わり、皇帝の宮殿ではなくなった後は、故宮と呼ばれるようになりました。

現在の施設名は「故宮博物院」です。

呼び方意味
紫禁城明・清時代の皇帝の宮殿
故宮昔の皇宮
故宮博物院現在の博物館としての名称

場所は同じです。

時代と役割によって呼び方が変わります。

北京の故宮と台北の故宮は同じ?

北京には「故宮博物院」があります。

台湾の台北には「国立故宮博物院」があります。

名前は似ていますが、同じ施設ではありません。

北京の故宮博物院では、紫禁城の宮殿建築を見学できます。

台北の国立故宮博物院では、中国歴代王朝の書画や陶磁器、工芸品などを中心に展示しています。

北京では、皇帝が暮らした空間を歩きます。

台北では、皇室に伝わった美術品や文化財を鑑賞します。

紫禁城は世界遺産

北京の紫禁城は、1987年にユネスコの世界文化遺産へ登録されました。

現在の登録名は「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」です。

清王朝が北京へ入る前に使っていた瀋陽故宮も、登録対象に含まれています。

紫禁城は、中国に残る宮殿建築の中でも規模が大きく、多くの建物が残されています。

宮廷の儀礼や暮らし、中国の思想を伝える場所としても評価されています。


なぜ「紫禁城」という名前なの?

紫禁城の壁は赤色です。

それなのに、なぜ「紫」の文字が使われているのでしょうか。

「紫禁城」という名前には、古代中国の天文学と皇帝の立場が関係しています。

「紫」は天帝が暮らす星の世界

中国の古い天文学では、北極星の周囲にある星の区域を「紫微垣」と呼びました。

紫微垣は、天上の皇帝である天帝が暮らす場所と考えられていました。

地上の皇帝も、天から国を治める役割を与えられた存在です。

そのため、皇帝の宮殿にも「紫」の文字が使われました。

紫禁城は、天上の宮殿を地上に表した空間でもあります。

「禁」は立ち入りを制限するという意味

「禁」には、立ち入りを禁じるという意味があります。

紫禁城には、誰でも自由に入れたわけではありません。

皇族や大臣であっても、身分や用件によって入れる場所が決められていました。

門では身分が確認され、許可を持たない人は中へ進めませんでした。

中国ドラマでは、刺客が宮中へ忍び込む場面もあります。

現実の紫禁城は、厳しく管理された空間でした。

「城」は城壁に囲まれた空間

紫禁城は、一つの大きな建物ではありません。

敷地の中には、多くの宮殿や門、庭園、倉庫などが並んでいます。

周囲は高い城壁と堀に囲まれていました。

皇帝一家だけでなく、宮女や宦官、侍衛など、多くの人が暮らし、働いていました。

宮殿と生活空間が一体になった、皇帝のための都市です。


紫禁城は誰が、いつ建てた?

現在の北京に紫禁城を建てたのは、明の第3代皇帝・永楽帝です。

永楽帝は、明王朝の都を南京から北京へ移しました。

その新しい都の中心として、紫禁城を建設しました。

建設したのは明の永楽帝

紫禁城の工事は1406年に始まり、1420年に完成しました。

木材や石材などの建築資材は、中国各地から集められました。

巨大な木材や石を北京まで運び、広大な宮殿を造るには、多くの人手が必要でした。

紫禁城の規模は、皇帝の権力の大きさも表しています。

なぜ北京へ都を移したの?

明王朝を建てた初代皇帝・洪武帝は、南京を都としました。

永楽帝は皇帝になる前、北京を拠点として北方を守っていました。

当時の明王朝にとって、北方のモンゴル勢力への備えは大きな課題でした。

永楽帝は、自分の政治基盤がある北京へ都を移します。

北方の防衛を強め、国の支配を安定させる狙いがありました。

明から清へ受け継がれた紫禁城

1644年、明王朝が滅び、清王朝が北京へ入りました。

清王朝を建てた満洲族は、紫禁城を壊して造り直したわけではありません。

明代の宮殿を受け継ぎ、修復や改築を加えながら使いました。

現在の紫禁城には、明代の基本的な配置と、清代に加えられた暮らしや信仰の特徴が重なっています。

『瓔珞~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』や『如懿伝~紫禁城に散る宿命の王妃~』は、清代を舞台にした作品です。

紫禁城の建物は明代から受け継がれましたが、衣装や礼儀、生活習慣には清王朝独自の文化も見られます。

清王朝が終わった後はどうなった?

1912年、辛亥革命によって清王朝が終わりました。

最後の皇帝・溥儀は、退位後もしばらく紫禁城の内廷で暮らしていました。

1924年に紫禁城を離れます。

翌1925年、紫禁城は故宮博物院として一般公開されました。

皇帝の宮殿だった場所が、歴史や文化を伝える博物館へ変わりました。


紫禁城の広さと見取り図

紫禁城の敷地面積は、約72万平方メートルです。

建築面積は約15万平方メートルあります。

大小70以上の宮殿があり、部屋は9000以上あるとされています。

紫禁城を理解するには、細かな建物名を覚える前に、全体の配置を見ることが大切です。

紫禁城の全体見取り図。南の天安門から午門、太和門、太和殿・中和殿・保和殿、乾清門、乾清宮・交泰殿・坤寧宮、御花園、北の神武門までの中軸線と、東六宮・西六宮、東華門・西華門、四隅の角楼を示した図
紫禁城の外朝・内廷と、南北の主要な建物を示した簡略図。
紫禁城の内廷にある乾清宮・交泰殿・坤寧宮・養心殿と、東六宮・西六宮の位置関係を示した概略図
紫禁城・内廷の位置関係図。
建物の大きさや間隔は実際とは異なる概略図です。

紫禁城は南から北へ見ると分かりやすい

紫禁城の正面は南側です。

現在の見学でも、南側の午門から入り、北へ進みます。

紫禁城は、大きく二つの区域に分かれます。

  • 南側:政治や国家儀礼を行う「外朝」
  • 北側:皇帝や皇后、妃嬪が暮らす「内廷」

中国建築には「前朝後寝」という考え方があります。

前方で政治を行い、後方に生活空間を置く配置です。

紫禁城も、この考え方に沿って造られています。

天安門と午門は同じ門ではない

紫禁城の入口と聞いて、天安門を思い浮かべる人も多いと思います。

天安門は、紫禁城そのものの正門ではありません。

位置関係は次の順番です。

天安門

端門

午門

紫禁城の内部

紫禁城の正門は午門です。

赤い楼閣が続くため、写真だけでは区別しにくい場所です。

紫禁城には本当に9999室あった?

紫禁城には「9999間半の部屋がある」という話があります。

天帝の宮殿には1万室あり、地上の皇帝は天帝を超えてはいけないため、半間少なくしたという伝説です。

ただし、「間」は現在の部屋数と同じ意味ではありません。

中国の伝統建築では、柱と柱の間の区画を「間」と数えます。

現在の故宮には、9000以上の部屋があるとされています。

9999間半という数字は、皇帝と天との関係を表す伝説として知られています。


皇帝が儀式を行った「外朝」

外朝は、紫禁城の南側にあります。

皇帝が国家の重要な儀式を行い、権威を示す場所でした。

中心となるのは、太和殿、中和殿、保和殿です。

この三つの建物は「三大殿」と呼ばれます。

午門|紫禁城の正門

午門は、紫禁城の南側にある正門です。

中央の門は、原則として皇帝が通るための特別な門でした。

皇后が婚礼で紫禁城へ入るときなど、限られた例外もありました。

紫禁城では、どの門を通るかも身分や儀礼によって決められていました。

太和殿|紫禁城で最も格式の高い大殿

太和殿は、紫禁城を代表する建物です。

皇帝の即位や婚礼、元日の儀式など、国家の重要な式典が行われました。

白い石造りの基壇の上に、黄色い屋根を持つ巨大な建物が立っています。

広い庭、高い基壇、玉座までの長い距離。

建物全体が、皇帝の権威を表すように造られています。

中国ドラマで、大勢の官僚が並び、皇帝に拝礼する場面を思い出す人も多いと思います。

ただし、皇帝が毎日太和殿で仕事をしていたわけではありません。

太和殿は、重要な儀式に使われる特別な場所でした。

中和殿|儀式前に準備をした場所

中和殿は、太和殿の後ろにある比較的小さな建物です。

皇帝が大きな儀式へ向かう前に休憩し、進行を確認する場所として使われました。

現代でいえば、本番前に最終確認をする控室に近い役割です。

保和殿|宴や科挙にも使われた大殿

保和殿は、三大殿の最も北側にあります。

宴会や重要な儀礼に使われました。

清代には、科挙の最終試験「殿試」も行われています。

皇帝の権威を示すだけでなく、国を動かす人材を選ぶ場所でもありました。


皇帝・皇后・妃嬪が暮らした「内廷」

内廷は、三大殿の北側にあります。

皇帝や皇后、妃嬪、皇子、皇女たちが暮らした区域です。

中国ドラマで描かれる後宮の中心も、内廷にあります。

乾清宮|皇帝の宮殿

乾清宮は、内廷の中軸線上にあります。

明代には、主に皇帝の寝宮として使われました。

清代に入ると、多くの皇帝は養心殿で暮らすようになります。

乾清宮はその後も、重要な儀礼や政務に使われました。

建物の正面には「正大光明」と書かれた額があります。

清代には、皇位継承者の名を書いた文書を、この額の後ろに保管したことで知られています。

交泰殿|天と地の調和を表す宮殿

交泰殿は、乾清宮と坤寧宮の間にあります。

「交泰」には、天と地が調和するという意味があります。

乾清宮の「乾」は天や男性を表します。

坤寧宮の「坤」は地や女性を表します。

二つの宮殿の間に交泰殿を置き、皇帝と皇后、天と地の調和を表しました。

清代には、皇后に関わる儀礼にも使われています。

坤寧宮|皇后の正宮

坤寧宮は、もともと皇后の正宮として造られました。

ただし、使われ方は時代によって変わります。

清代には、満洲族の信仰に基づく祭祀を行う空間が設けられました。

皇帝と皇后が婚礼の夜を過ごす部屋としても使われています。

宮殿の名前が同じでも、王朝や時代によって役割が変わることがあります。

養心殿|清代の皇帝が暮らした場所

清代の中頃以降、多くの皇帝は乾清宮ではなく養心殿で暮らしました。

養心殿は乾清宮より小さく、皇帝はここで生活しながら政務も行いました。

大きな儀式を行う太和殿とは違い、日々の政治に深く関わった場所です。

御花園|紫禁城の奥にある庭園

御花園は、紫禁城の中軸線の北端にあります。

庭には、亭や岩山、古木などが配置されています。

広い自然公園ではなく、限られた空間に建物や植物、石を組み合わせた中国庭園です。

宮中で暮らす人々にとって、季節や自然を感じられる場所でした。


中国ドラマでよく見る東六宮・西六宮とは?

紫禁城の内廷中央には、乾清宮・交泰殿・坤寧宮が並んでいます。

その東西に置かれたのが、妃嬪たちが暮らした東六宮と西六宮です。

東側の六つを東六宮。
西側の六つを西六宮と呼びます。

後宮という名前の大きな建物があったわけではありません。

妃嬪たちは複数の宮殿に分かれ、それぞれ宮女や宦官に囲まれて暮らしていました。

各宮殿には正殿や脇殿、庭があり、一つの生活区画として使われていました。

宮殿名を知ると、ドラマの登場人物が紫禁城のどの辺りで暮らしていたのか分かりやすくなります。

西六宮東六宮
永寿宮景仁宮
翊坤宮承乾宮
儲秀宮鍾粋宮
啓祥宮(太極殿)景陽宮
長春宮永和宮
咸福宮延禧宮

妃嬪の位で住む宮殿は決まっていた?

妃嬪には、皇貴妃・貴妃・妃・嬪などの位がありました。

位によって待遇や儀礼上の立場は変わります。

ただし、「貴妃はこの宮」「嬪はこの宮」と、居所が固定されていたわけではありません。

皇帝の意向、空いている宮殿、時代ごとの事情によって、住む場所は変わりました。

昇格や失脚、皇后への冊立などをきっかけに、別の宮殿へ移る妃嬪もいます。

東六宮と西六宮の間にも、明確な上下関係はありません。

中国ドラマでは誰がどの宮殿に住んでいた?

中国宮廷ドラマでは、宮殿が登場人物の立場を表すことがあります。

代表的な例を整理すると、次のようになります。

西六宮

西六宮『宮廷の諍い女』『瓔珞』『如懿伝』
永寿宮甄嬛(後期)
翊坤宮華妃如懿(皇后となった後)
儲秀宮高貴妃
啓祥宮(太極殿)
長春宮斉妃富察皇后富察皇后
咸福宮敬妃、沈眉荘

東六宮

東六宮『宮廷の諍い女』『瓔珞』『如懿伝』
景仁宮皇后・宜修舒嬪
承乾宮嫻妃・淑慎
鍾粋宮余答応純嬪、第三皇子
景陽宮儀貴人
永和宮愉嬪
延禧宮安陵容、富察貴人、夏冬春魏瓔珞如懿(初期)

※この表は各ドラマ内の設定を整理したものです。
史実上の居所とは異なる場合があります。
途中で住まいを移した人物は、主な時期のみ記載しています。「―」は、今回確認できた資料で居所を特定できなかった欄です。

ドラマ『瓔珞』の原題にある延禧宮は実在する

『瓔珞~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』の原題は『延禧攻略』です。

題名にある「延禧」は、東六宮の一つである延禧宮を指します。

延禧宮は現在も紫禁城に残っています。

ドラマでは、魏瓔珞が妃となった後に延禧宮へ入ります。

史実の令妃が延禧宮に住んだと断定できる資料は確認できていません。

そのため、原題と宮殿名の関係は、ドラマ内の設定として分けて考える必要があります。

現在の延禧宮には、清末に建設が始まった西洋風の建築跡「霊沼軒」が残っています。


紫禁城ではどのように暮らしていた?

紫禁城は豪華な宮殿ですが、生活設備は現在とは大きく異なります。

食事や水、湯を運ぶにも、多くの人手が必要でした。

美しい宮殿の暮らしは、宮女や宦官など、多くの人の仕事によって支えられていました。

食事はどこで用意された?

皇帝や皇后、妃嬪の食事は、宮中の台所で準備されました。

清代には、皇帝の食事を扱う御膳房などの組織がありました。

料理は、皇帝や妃嬪が食事をする場所まで運ばれます。

食材の調達、調理、配膳まで、多くの人が関わっていました。

宮廷の食事は、味だけでなく安全面も厳しく管理されていました。

風呂やトイレはどうしていた?

紫禁城の宮殿には、現在のような浴室や水洗トイレはありません。

入浴には、湯を運び、桶やたらいを使いました。

トイレには便器や桶が使われ、使用後は宮人が処理しました。

豪華な建物の中でも、日々の暮らしには多くの手間がかかりました。

北京の冬をどう過ごした?

北京の冬は厳しく冷え込みます。

紫禁城では、火鉢や炭を使って暖を取りました。

建物によっては、床下に煙を通し、床を温める仕組みも使われました。

木造建築では、暖房と同時に火災への注意も必要です。

冬の宮廷生活は、華やかな衣装だけでは乗り切れない寒さでした。

妃嬪は自由に移動できた?

妃嬪たちは、紫禁城の中を自由に歩き回れたわけではありません。

身分や用件によって、行動できる範囲が決められていました。

皇帝や皇后への拝謁、儀礼、祝い事などで移動することはありました。

許可なく外朝や紫禁城の外へ出ることは困難でした。

宮殿を訪ねる行為にも、身分や人間関係が表れていました。


紫禁城の美しさに込められた意味

紫禁城の美しさは、建物の大きさだけではありません。

色や配置、屋根の形、装飾にも意味があります。

皇帝の立場や宮廷の秩序を、目に見える形で表しています。

なぜ赤い塀と黄色い屋根が使われているの?

紫禁城では、宮殿や中庭を囲む赤い塀と、黄色い瑠璃瓦の屋根が印象に残ります。

赤は、中国で幸福や繁栄を表す縁起のよい色です。

黄色は、皇帝を象徴する特別な色でした。

五行思想では、黄色は「中央」を表します。

国の中心に立つ皇帝と結びつくため、紫禁城の主要な宮殿には黄色い瑠璃瓦が使われました。

紫禁城のすべての屋根が黄色ではありませんが、中軸線に並ぶ重要な宮殿では、赤い塀や柱と黄色い屋根の組み合わせが多く見られます。

龍の装飾が表す皇帝の権威

紫禁城では、建物や玉座に龍の装飾が多く使われています。

龍は、皇帝を象徴する存在です。

特に五本の爪を持つ龍は、皇帝と強く結びついていました。

中国ドラマで皇帝の衣装に龍が刺繍されているのも、同じ考え方です。

建物と衣装の両方で、皇帝の権威を表しています。

屋根の上に動物が並ぶのはなぜ?

紫禁城の屋根には、小さな動物のような飾りが並んでいます。

これらは走獣と呼ばれる装飾です。

魔除けや火災除けの意味を持つとされています。

飾りの数は、建物の格式によって変わります。

太和殿には多くの走獣が並び、紫禁城の中でも高い格式を示しています。

門に並ぶ金色の鋲には意味がある?

紫禁城の門には、金色の鋲が規則正しく並んでいます。

皇帝の宮殿では、縦横に九つずつ並ぶ形式が多く見られます。

中国では、九は皇帝と結びつく数字です。

門の装飾にも、皇帝の権威や吉祥の意味が込められています。


中国ドラマの紫禁城は本物?

中国の宮廷ドラマを見ると、本物の紫禁城で撮影しているように見えます。

実際には、多くの作品が撮影所に造られた宮殿を使っています。

紫禁城は歴史的な文化財です。

映画『ラストエンペラー』は本物の紫禁城で撮影された

多くの中国宮廷ドラマは、横店影視城などの撮影施設で撮影されています。

映画『ラストエンペラー』は例外です。

中国政府から許可を得て、実際の北京の紫禁城で撮影されました。

幼い溥儀の即位式を描いた場面では、太和殿や広場など、本物の宮殿が使われています。

現在の紫禁城は貴重な文化財であり、映画やドラマの撮影を自由に行える場所ではありません。

『ラストエンペラー』は、紫禁城で大規模な撮影が行われた特別な作品です。

多くの宮廷ドラマは横店影視城で撮影される

中国の時代劇や宮廷ドラマでは、浙江省にある横店影視城がよく使われます。

横店影視城には、紫禁城をモデルに造られた「明清宮苑」があります。

宮殿や門、赤い壁、長い廊下が再現されています。

『瓔珞~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』をはじめ、多くの作品が横店で撮影されました。

ドラマに映る紫禁城の風景には、横店で撮影された場面が多く含まれています。


現在の紫禁城を見学するには

現在の紫禁城は、故宮博物院として一般公開されています。

皇帝が実際に使った宮殿を、自分の足で歩いて見学できます。

ただし、すべての建物の内部へ入れるわけではありません。

外から室内を見る形式の宮殿もあります。

見学には事前予約が必要

故宮博物院の見学には、原則として事前予約が必要です。

入場時には、予約に使用したパスポートなどを提示します。

予約方法や入場条件は変更されることがあります。

旅行前には、故宮博物院の公式サイトで最新情報を確認してください。

基本の見学ルート

一般的な見学では、南側の午門から入ります。

太和殿、中和殿、保和殿を通り、内廷へ進みます。

乾清宮、交泰殿、坤寧宮、御花園を見た後、北側の神武門から出る流れです。

初めて訪れる人は、中軸線に沿って歩くと全体の構造をつかみやすくなります。

東六宮や西六宮を見る場合は、途中で東西の区域へ入ります。

見学に必要な時間

中軸線を中心に見るだけでも、数時間かかります。

東六宮や西六宮、宝物館、時計館なども見る場合は、半日以上必要です。

紫禁城は非常に広いため、すべてを一日で細かく見るのは難しい場所です。

見たい場所を事前に決めておくと、歩き疲れて出口ばかり探す事態を避けられます。

私も広い観光地では、後半になると建物より出口が気になります。

紫禁城では、最初から欲張りすぎない計画が大切です。

中国ドラマ好きが見ておきたい場所

中国ドラマが好きな人は、次の場所を優先すると楽しめます。

  • 太和殿
  • 乾清宮
  • 養心殿
  • 坤寧宮
  • 東六宮
  • 西六宮
  • 延禧宮
  • 御花園

まとめ|紫禁城を知ると中国ドラマがもっと面白くなる

紫禁城は、明と清の24人の皇帝が使った宮殿です。

午門をくぐると、広大な中庭の先に太和殿が見えます。

そこからいくつもの門を越え、外朝、内廷、御花園へと歩いていきます。

画面では数秒で切り替わる場所も、実際には簡単に行き来できないほど離れています。

皇帝と大臣。
皇后と妃嬪。
宮女と宦官。

多くの人が、身分によって決められた場所で暮らしていました。

宮殿の配置や門までの距離を知ると、ドラマで描かれる人間関係や緊張感も理解しやすくなります。

実際に訪れると、赤い塀と黄色い屋根が幾重にも続き、その規模に圧倒されます。

同時に、ドラマで何度も見た宮殿名が目の前に現れると、不思議な感慨もあります。

紫禁城は、写真で見るだけでは広さをつかみにくい場所です。

北京を訪れたら、ぜひ時間を取って歩いてみてください。中国ドラマで見ていた後宮の世界が、現実に存在した場所として見えてきます。


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