文化・歴史

【豊臣兄弟!】織田信長の葬儀とは?沈香の木像に込められた意味

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の本編後に放送される「豊臣兄弟紀行」。

そこで紹介された、織田信長の葬儀の話に目が留まりました。

本能寺の変の後、豊臣秀吉は沈香で信長の像を造らせ、葬儀を行ったといいます。

沈香で造られた信長像は荼毘に付され、その香りは辺り一帯に広がったと伝えられています。

なんて美しい弔い方なんだろう。

なぜ、信長を送るために「沈香」が使われたのか。

あの日、大徳寺ではどんな葬儀が行われたのか。

少し調べてみることにしました。


『豊臣兄弟紀行』で知った、織田信長の葬儀

1582年6月2日、本能寺の変で織田信長が亡くなりました。

その約4か月後の10月15日、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は京都・大徳寺で、信長の大規模な葬儀を行いました。

『豊臣兄弟紀行』で紹介されていたのが、この葬儀のために造られた信長の木像です。

秀吉は信長の木像を2体造らせ、そのうち1体を棺に納め、荼毘に付したと伝えられています。

驚いたのは、その木像が「沈香」という香木で造られていたこと

火が入ると、沈香の香りが煙とともに辺りへ広がったといいます。

もう1体の信長坐像は、現在も大徳寺の塔頭・総見院に伝わっています。

ここで気になったのが、なぜ信長を送るための像に、貴重な沈香が使われたのかということ。

まずは、この「沈香」がどんな香木なのか調べてみました。


沈香とは?火を入れて初めて現れる香り

「沈香(じんこう)」は、木の名前そのものではありません。

東南アジアなどに生育するジンチョウゲ科の樹木が傷ついたとき、その部分に樹脂が長い年月をかけて蓄積してできる香木です。

樹脂を多く含んだ部分は重く、水に沈むものがあることから「沈水香木」、略して「沈香」と呼ばれるようになったとされています。

沈香の特徴は、熱を加えたときに香りが立ち上がること。

甘さだけではなく、木や薬草のような香り、少し苦みを感じる香りなど、産地や樹脂の状態によって香りは異なります。

そして沈香は、簡単に作れるものではありません。

長い年月をかけて偶然に近い条件で生まれるため、古くからとても貴重な香木として扱われてきました。

では、なぜ信長の葬儀ではこれほど貴重な沈香が使われたのでしょうか。

そもそも、なぜ大切な人を送る場で「香」を焚くのでしょうか。


なぜ葬儀で香を焚くの?

葬儀で香を焚く習慣は、仏教と深く結びついています。

仏教では古くから、花や灯明などとともに「香」を仏に供えてきました。

香には、場を清め、仏を敬い、供養する意味があります。

お寺で香を焚いたり、私たちがお墓参りや仏壇で線香を供えたりするのも、こうした文化につながっています。

では、大徳寺で行われた信長の葬儀は、実際どのようなものだったのでしょうか。

当時の記録を見てみます。


信長の葬儀はどれほど壮大だった?

天正10年(1582年)10月15日。

豊臣秀吉は京都の大徳寺で、織田信長の葬儀を執り行いました。

このときの様子は、豊臣秀吉に仕えた大村由己(おおむら ゆうこ)が著した『惟任退治記(これとうたいじき)』に詳しく残されています。

信長の棺は、金紗(きんしゃ)や金襴(きんらん)で包まれ、金銀の装飾が施されました。

頭上には五色の天蓋(てんがい)。

周囲には幡(はた)が立ち並び、数多くの灯明がともされました。

そして、沈香の香りが辺りに広がります。

『惟任退治記』には、五色の天蓋が日に輝き、幡が風になびき、沈香の煙は雲のように立ち上り、灯明の光は星のようだったと記されています。

その光景は、まるで九品浄土(くほんじょうど)が目の前に現れたようだったとも記されています。

文章だけでは、私はなかなかその光景を想像できませんでした。

そこで『惟任退治記』に書かれている内容をもとに、当時の葬儀をイメージした画像を生成してみました(笑)。

織田信長の大徳寺での葬儀をイメージした画像。五色の天蓋と幡、金襴に包まれた棺、僧侶、沈香の煙が広がる様子
『惟任退治記』に記された金襴、五色の天蓋、幡、灯明、沈香の煙などをもとに生成したイメージ。
実際の建物・装束・配置を正確に再現したものではありません。

秀吉はなぜ、ここまで盛大に信長を弔ったのか

これほど壮大な葬儀を行った背景には、秀吉の政治的な意図もあったと考えられています。

本能寺の変のあと、織田家では信長亡き後の主導権をめぐる動きが始まっていました。

そんな中、秀吉は京都・大徳寺で、信長の葬儀を盛大に執り行います。

葬儀は、足利将軍家でも行われてきた格式ある禅宗の葬礼「七仏事(しちぶつじ)」の作法にならったとされています。

信長を盛大に弔うことは、信長への敬意を示すだけではありません。

信長の意思を受け継ぐのは自分である。

秀吉はこの葬儀を通して、その決意と自らの立場を世に示そうとしたのかもしれません。


信長と沈香をつなぐ「蘭奢待」

信長と沈香について調べていると、蘭奢待(らんじゃたい)という香木に行き着きました。

蘭奢待は、奈良・正倉院に伝わる巨大な沈香です。正式な宝物名は「黄熟香(おうじゅくこう)」といいます。

「蘭奢待」という名前も不思議ですよね。

実は、この三文字の中には「東大寺」が隠れています。

蘭【東】奢【大】待【寺】

なぜこの名前が付いたのか、誰が名付けたのかは、はっきり分かっていません。

そして、この蘭奢待と信長には実際に接点がありました。

天正2年(1574年)、信長は正倉院の蘭奢待を切り取らせています。

もちろん、誰でも自由に切り取れるような香木ではありません。

蘭奢待には切り取られた跡が残っていて、その中には足利義政、織田信長、明治天皇が切り取ったと伝わる箇所があります。

信長が蘭奢待を切り取らせたことには、自らの権威を示す意味があったとも考えられています。

天下をめぐる争いの中で、重い責任を背負っていた信長。

沈香は、そんな信長が心を休める香りでもあったのでしょうか。

蘭奢待を切り取らせてから8年後、信長は本能寺の変で亡くなります。

そして秀吉は、信長を送るための木像に沈香を使いました。

ところで「ランジャタイ」って……

蘭奢待と聞いて、お笑いコンビの「ランジャタイ」を思い浮かべた方もいるかもしれません。

私も気になって調べました(笑)。

コンビ名の「ランジャタイ」も、この蘭奢待が由来です。

伊藤幸司さんは、蘭奢待を織田信長らが切り取った「天下獲りの証」と捉え、そこからコンビ名を付けたことをインタビューで語っています。


香りは、記憶に残る

沈香で作られた木像が荼毘に付されると、その香りは洛中一帯に広がったと伝えられています。

香りを嗅いだ瞬間、昔の出来事や人をふと思い出すことがありますよね。

このように、香りをきっかけに記憶や感情がよみがえる現象を「プルースト効果」と呼びます。

名前の由来は、フランスの作家マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』です。

紅茶に浸したマドレーヌの香りや味をきっかけに、主人公の幼いころの記憶がよみがえる場面で知られています。

大徳寺で沈香の香りを嗅いだ人たちにとっても、その香りは信長と結びついて記憶に残ったのかもしれません。

その後、どこかで同じような香りに出会ったとき、ふと信長に思いを馳せる。

そんな人もいたのではないでしょうか。

私はまだ、沈香の香りを知りません。

ここまで調べたら、一度その香りを嗅いでみたくなりました。


沈香ってどんな香り?

では、沈香とはどんな香りなのでしょうか。

調べてみると、これがなかなか一言では表せません。

沈香の香りは、昔から甘・辛・苦・酸・鹹(塩辛さ)の「五味」で表現されてきました。

産地や香木によっても香りが異なるため、「沈香はこんな香り」と一つに決めることはできません。

もちろん、信長の葬儀で洛中に広がった香りを、そのまま再現することもできません。

それでも沈香は今も香木として流通していて、沈香を使ったお香もあります。

やっぱり一度は自分の鼻で確かめてみたくなりますね。


沈香の香りを試してみたい方へ

私も気になって、沈香の香りを楽しめるものを探してみました。

🔽まずは沈香を焚いて香りを体験してみたいなら、お線香。
ベトナム産のシャム沈香を使ったお線香です。


🔽火を使わず、もっと気軽に香りを楽しむなら練り香水もありました。
沈香を含む8種類の香りから選べます。


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